1963年11月1日、イギリスのロック・バンド、デフ・レパードのドラマー、リック・アレンが誕生した。
15歳という若さでバンドに加入し、世界的な成功を経験。そして1984年末、交通事故によって左腕を失うという大きな試練に直面する。しかし、アレンはドラマーとしての道を諦めなかった。独自のドラムセットを開発し、リハビリと練習を重ねて再びステージへ戻ってきたのである。
彼の歩みは、デフ・レパードの歴史だけでなく、ロック・ミュージシャンの可能性を示す象徴的な物語でもある。
15歳でデフ・レパードに加入
デフ・レパードは1970年代後半、イギリスのシェフィールドを拠点に活動を開始した。ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタルの流れの中で注目を集め、若さと勢いを武器に着実にステップアップしていく。
リック・アレンが加入したのは、まだ15歳のときだった。バンドは1980年代に入るとアメリカ市場にも進出し、メロディアスなギター・サウンドと厚みのあるコーラスを武器に、世界的な人気を獲得していく。
1983年の『炎のターゲット』は、デフ・レパードを世界的な成功へと導いた重要作となった。バンドは大規模なツアーを行い、アリーナ・ロックの主役へと成長していった。
交通事故、そしてドラマーとしての再出発
1984年12月31日、アレンは交通事故に遭い、左腕を失った。
ドラマーにとって両腕は演奏の根幹を担う。事故によって音楽活動の継続が困難になったことは想像に難くない。しかし、アレンはバンドを離れる道を選ばず、演奏への復帰を目指した。
彼は電子ドラムの技術を活用し、足のペダルなどを組み合わせた独自の演奏システムを構築していく。残された身体の動きを生かしながら、新しい奏法を身につけるという挑戦だった。
重要なのは、単に以前と同じ演奏を再現することだけを目指したのではない点だ。アレンは新たな奏法を自分のものにし、ドラマーとして再びステージに立つための道を切り開いていった。
1986年、ステージへの復帰
1986年、デフ・レパードはアレンの復帰に向けた準備を進め、同年夏のヨーロッパ公演で再び観客の前に立った。
この復帰は、バンドにとっても大きな意味を持つ出来事だった。メンバーはアレンが演奏を続けられる可能性を信じ、復帰を支えた。アレン自身も練習を積み重ね、新しいドラムセットで長時間のステージをこなせるまでになった。
その後、バンドは1987年に『ヒステリア』を発表。作品はイギリスとアメリカで大きな成功を収め、デフ・レパードは世界的なトップ・バンドとしての地位を確立した。
アレンの復帰は、バンドの成功と重なりながら、彼自身の新しいキャリアの始まりにもなった。
ロック・ドラマーとしての存在意義
リック・アレンの価値は、困難を乗り越えたという物語だけにあるのではない。彼は現在もデフ・レパードのドラマーとして演奏を続け、バンドのサウンドを支えている。
長いキャリアの中で、彼の演奏スタイルは変化してきた。電子ドラムを中心とした時期を経て、現在は状況に応じてアコースティック・ドラムも組み合わせている。
また、自身の経験を通じて、困難に直面した人々を支援する活動にも取り組んできた。
2026年11月1日は、リック・アレンの63歳の誕生日にあたる。彼の歩みを振り返ることは、ロックにおける技術、意志、そしてバンドの仲間との信頼を改めて考える機会でもある。
リック・アレンのこの1枚『Hysteria(ヒステリア)』(1987年)
この作品が単なる大ヒット作ではなく、交通事故で左腕を失ったリック・アレンが、ドラマーとして復帰を果たした後の最初のスタジオ・アルバム。
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代表曲 Pour Some Sugar on Me
デフ・レパードの代表曲のひとつが「Pour Some Sugar on Me」だ。1980年代のアリーナ・ロックを象徴する、力強いビートとキャッチーなコーラスが印象的な楽曲である。
分厚いギター・サウンドとリズムの一体感は、バンドが大規模な会場を沸かせる存在へと成長したことを物語っている。アレンのドラミングにも注目しながら聴きたい一曲だ。
リック・アレンは、事故によって音楽人生の大きな転機を迎えながらも、ドラマーとして再びステージに戻り、現在まで活動を続けてきた。彼の誕生日は、デフ・レパードの歴史とともに、ロック・ミュージシャンの挑戦と可能性を振り返る記念日といえる。
参考:
Def Leppard公式プロフィール
https://defleppard.com/member/rick-allen/



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